奄美大島での7ヶ月間を終えて(大阪府出身 看護師6年目)
名瀬徳洲会病院での7ヶ月間の勤務を終えました。
応援生活では、離島での医療を学べたと同時に島でたくさんの温かい人と出会うことができ、とても充実した日々を過ごすことができました。
わたしは障害者病棟という介護度の高い病棟に配属されました。
こちらでの仕事に慣れるのは離島で医療の提供方法が違うなどという理由ではなく、前の仕事と系統の違う忙しさで、体力勝負!というところが大変でした。
週に2回の40人以上の入浴介助、日々のオムツ交換、、、今ではとても筋肉がつきました!(笑)
初めの頃はこんなしんどい仕事はない!と前のしんどかった職場が恋しくなったほどでしたが、1カ月もすれば仕事にも慣れ、今ではとても居心地の良い場所となり、恵まれた環境で働かせていただけたことに感謝しています。
患者さんとの関わりも楽しく、方言を教えてもらったり、お話をしたり、いつも癒されていました。
島ならではの、台風での勤務も体験しました。
わたしたちも台風で外に出られず、病院へ行けなくなったら困ると泊まり込み。
そして、夏の停電の中での夜勤、本当に辛かったです。
電気がつく有り難みを実感しました。一緒に台風夜勤を乗り越えたメンバーとは絆が深まりました。
また、奄美大島からフェリーで渡る加計呂麻島での老人ホームでの応援看護師としての勤務も経験させていただきました。
なんと言っても、可愛いおばあちゃんたちにいつも癒され、一緒にレクリエーションをしたり、楽しい経験をさせていただけました。
しかし加計呂麻島には病院がなく、何かあれば救急艇やドクターヘリでの対応となるため、看護師としての責任も大きく、自分の仕事の責任の重さも再確認しました。
プライベートでは応援仲間と色々なところに遊びに行ったり、ご飯に行ったり、人生の中でも忘れられない思い出の日々となりました。
遊びに仕事に忙しい日々を過ごし、気づけば7カ月が経ちました。
もう少し奄美に残りたいという気持ちも抱えつつ、奄美を去りました。
また帰っておいで!
と沢山の方が言ってくださり、第2の故郷ともなりました。
奄美大島でのこの経験は、今後の人生においても誇れるものになったと思います。
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