ここが私のアナザースカイ!喜界島〜仕事のこと〜(東京都出身 看護師10年目)
前回の喜界徳洲会病院から合わせて3年間、喜界島で勤務させていただきました。
一言で言えばとても実りのある楽しい3年間!!でした。
仕事・プライベートの両方でたくさんの経験ができ、濃い濃い3年を過ごすことができました。
私は仕事、プライベートと分けて皆さんにお伝えできればと思っています。
仕事のこと
喜界徳洲会病院は喜界島にある唯一の病院なので、入院される患者さんの疾患も様々です。
全ての疾患を見なくてはいけないので分からない事も多々ありました。
分からない事は周りの看護師や先生、他職種の方々が教えてくださったのでとても勉強になりました。
今まで経験してこなかった疾患も勉強する事ができて学びも多く、自分自身の成長にも繋がったと思います。
リーダーも経験し色々大変な事はありましたが、周りの皆さんの協力があり務める事ができました。
島だからあれができない、物品が不足しているのでは?と聞かれる事も多いですが、必要最低限の物品は揃ってると感じます。
都会の小さい病院の方が物品不足だと思う場面も見受けられました。
ただ島でできる治療は限られるので、本土へ搬送という事はあります。
ドクヘリや自衛隊ヘリ搬送も島ならではだと感じたのと同時に、ヘリが来てくれることの安心感は大きく、島の人にとって無くてはならないものだと実感しました。
さらに島では看取りの場面で家に連れて帰る事が都会に比べ多いなと感じました。
状態が悪くなって在宅を希望した際には訪問看護もすぐに介入してくれ、最期の時間を家族や親戚など大勢に囲まれて過ごす事ができます。
家族の負担が大きくならないように、帰る前には家族と医療者、ヘルパー、ケアマネ含め話し合いをし、家族も本人も安心して暮らせるように調整をします。
これは今まで内地の病院に務めていたときには経験しなかった事であり勉強になりました。
また故人を囲んでご飯会をしている所に行かせて貰った事がありますが、本当に素敵な時間だな〜と感じることができました。
きっと最初は島の方の方言にとまどいます。
あげ!と良く島の方は言いますが、初めの頃はテンションあげ〜なのかと不思議に思っていました(笑)
方言が分からないと伝えると標準語で話して下さりますが、方言を覚えて会話した方がより島の人とコミュニケーションが取れるなと感じました。
せん妄のある時は標準語よりも方言の方が伝わります!
スタッフの方に方言を教えて貰って伝えてみたりと地元スタッフの方にはたくさん助けられました。
また、入職当時は電カルの使い方に苦戦しましたが、先輩や同じ結の島ナースの方に教えてもらい使えるようになりました。
電カル操作のマニュアルもあるのでとても助かります。
3年間働いてみて楽しい事はたくさんありましたが、大変な事も多かったように思います。
しかし、患者さんの素敵な笑顔や病院スタッフの優しさに助けられてここまで働くことができました。
たくさんの学びをくれた皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。
ここでの経験を次の勤務先でも活かし、更に成長できるように日々頑張りたいと思います。
お問い合わせはこちら矢印アイコン