徳之島生活で感じたこと(神奈川県出身 看護師4年目)
徳之島はわたしの祖父母の出身地であったため、小さい頃から行ってみたいなと思っていました。
災害医療や離島医療に興味があり調べていたら結の島ナースを見つけ、エントリー先に徳之島があったため即決しました。
とはいっても、全く見知らぬ地で知り合いも誰一人いない。
大好きな海が目の前の生活ができると楽しみと同時に、不安もかなりあったのが懐かしいです。
そして私は外科病棟に配属されました。
毎日入退院や手術などのイベントがたくさんありました。
またコロナのクラスターも重なりとても大変でしたが、お互いに声をかけあって乗り越えたのが今となってはいい思い出です。
日々の勤務の中では、入院患者さんのことを〇〇集落の〇〇さんの親戚ね と看護師同士で話をしていたり、
私自身島の言葉が聞き取れない事もありましたが、周りの看護師さんや助手さんに教えてもらったりと、東京で働いていたときよりも人の温かさを感じながら楽しく働けました。
半年間勤務した中で1番離島医療の難しさを感じたのは、島外搬送となる症例です。
内地にいけば手術をして助かるかもしれない患者さんなのに、島では補液や輸血が限界。
そしてその輸血もなくなり、スタッフに招集をかけて生血を投与してなんとか搬送につなげる。
患者さんの家族や親戚も夜中なのに20人ほど集まり無事を祈っている姿は、医療者としてなにも出来ないことにいろいろなことを考えさせられました。
島にはマックやスタバ、牛丼屋さんなどのチェーン店はないです。
でも、島を1周してみるとたくさんの飲食店がありご飯には全く困りませんでした。
また私は休日はほとんどダイビングをしていたので、洋服もTシャツ・短パン・サンダルで過ごせました。
東京の友達はみんな島には何もないと言うけれど、何もないことでむしろ生活は豊かになったなと思います。
徳之島に帰る時に、ミスドがお土産になる生活は思ったより素敵でした!
6ヶ月というとても短い期間でしたが、看護師として働き出して1番貴重な経験をし、看護師として今後どのようにしたいかをたくさん考える機会がありました。
また島に来ている全国の医療者とも仲良くなり、徳之島から帰った後でも連絡を取り合える友達もできました。
これで私は東京に戻りますが、絶対に島に帰ってこようと思います!!
お問い合わせはこちら矢印アイコン