奄美大島で、助産師として勤務し学べたこと(長野県出身 助産師6年目)
私は今まで都内の二次救急病院の産婦人科で、5年間勤務してきました。
都内で働いているときはとにかく毎日が激務であり、患者さんのために働いているのにいつの間にかそれがしんどくなり、一旦助産師を離れてもいいのかなと思うようになりました。
患者さんから感謝されることさえもプレッシャーに思えて、充実感や仕事への熱意はいつの間にか少なくなって毎日ただ業務をこなすだけの日々でした。
そんなときにワーキングホリデーという存在を知り、一旦助産師から離れて自分を見つめなおすのもありかなと思ってワーキングホリデーに行く予定でしたがコロナで行けず・・・。
結局、やりたいことも見つからず世に言うふらふらした時期を過ごしていました。
その後、都内で働いていた時の先輩が離島ナースをやっていた話をふと思い出し、調べてみたら奄美大島に出会いました。
元々国際協力や、へき地・発展途上国での医療に興味があったこともあり、ここで働いてみたい、自分で離島医療の現状を見てみたい、と思い始めたのが名瀬徳洲会病院で働くことに決めたきっかけです。
実際に働いてみると離島感はほとんど感じませんでした。いい意味でのギャップです。
医療資材も困らない程度には揃っていますし、提供している医療も内地との差を感じることはほとんどありませんでした。
勤務をしていちばん印象的なのは、どの産婦さんもお産に対しての満足度が高いということです。
そして患者さんはどの人も優しくて気さくで、内地とは違う温かさを感じました。
業務の忙しさは産婦人科なので波があります。とても忙しいときもあれば、落ち着いているときもあり差が激しいです。ただ、お産は計画的には進まないものなのでその辺に関しては仕方ないと思いますし、特に苦痛には感じませんでした。
混合病棟のため産科以外の診療科の患者さんも入院していますので、産科以外の患者さんを対応した事がない方は少し抵抗があるかもしれません・・・。
慣れるまでは、文化も違うしやり方も異なるため辛いこともありましたが、それでも自分で決めたことであるので受け入れてくださったことに感謝の日々でした。
お休みの日は特にすることはなかったのですが(勤務時期が冬だった事もあり…)
私は車を持ってきていなかったので、自転車でどこへでも行きました。
龍郷という隣の集落まで自転車をこいだことも。
なんでも揃っている都内から来たため、不便さを感じることもありましたが、最低限なもので生活はできるし、心が満たされるという事は何でも揃っていることではないと学びました。
同じ応援仲間と一緒にご飯を食べたり、コロナの中でもできることを楽しみました。
ひとりでダイビングやパラグライダーに行ったりもしました。
パラグライダーは想像以上に楽しかったです。一度やる価値はあります。
そして奄美といったらやはり海です。海はめちゃくちゃきれいです。サンセットもおすすめです。あとはタンカンのおいしさに感動しました。
名瀬徳洲会病院には小児科がないため、慎重な判断、正常からの逸脱を予防するという点はすごく学びになりました。医療の質や物資で差を感じることはなかったですが、医療資材を大事に使うことは都内の病院よりも多いと感じました。
また、患者さんとの距離が近いので、方言のほうがむしろ通じることがあったりしました。
深く、近く寄り添うことの大切さを学びました。また、産婦さんは高齢初産婦さんはあまりいないことにも驚きました。少子高齢化の世の中で、都内ではそれを感じることが多かったですが奄美では少ない印象でした。なによりも患者さんは皆さん本当にいい人ばかりでした。患者さんのやさしさに癒されたり救われることは多かったです。忙殺されていた日々では感じることができなかった気持ちになったり、たくさん学ぶことがありました。
短期間での勤務だったからこそ、濃く充実した日々になったと思います。
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