結の島ナースを終えて~奄美大島:瀬戸内編~( 東京都出身 看護師8年目)
私は東京の病院で6年間勤務したあと結の島ナースの存在を知り、初めに瀬戸内徳洲会病院に1年3カ月・うち喜界島に2週間応援に行き最後は与論徳洲会病院で4カ月勤務をしました。
東京で働いていたときは忙しいながらも充実した日々を送っていましたが、徐々にハードな勤務に身体が追い付かず体調を崩して退職することを決めました。
そのときは自分はなにが好きだったのか、なにがしたいのかさえわからなくなっていました。
そんなときに結の島ナースの存在を知り、たまたま瀬戸内徳洲会病院が(だけ!)初めての試みのオンライン説明会を行っていて、よくわからないまま取り合えず申し込みをしたことを今でも鮮明に覚えています。
そして、説明を聞いた2週間後には奄美大島へ来ていました。
決め手は優しさ溢れる看護部長さんの対応でした。
瀬戸内に初めて来たときは、そもそも違う場所で働くこと自体が初めてだったので、とにかく毎日慣れることに必死だったと思います。
初めは新鮮な環境や生活に毎日ワクワクしていましたが、月日を追うごとにどうやったら患者さんを自宅に帰せるのかという視点に変わり、仕事に充実感を覚えていきました。
また、患者さんが一番安心する島の言葉も積極的に使うようになっていきました。
同じ意味を伝えていても、島口で話したほうが患者さんによく伝わり笑顔を見せてくれます。
瀬戸内徳洲会病院は、瀬戸内町の人だけでなく加計呂麻島や請島・与路島からも船に乗って受診に来られる独居の高齢者の患者さんも多いので、退院調整はとても重要な役割を果たしていると思います。
瀬戸内病院で勤務中、ご縁あって喜界島:喜界徳洲会病院に業務応援に行くこともありました。
同じ徳洲会と言えどやり方も違うので、仕組みや方法など良い部分も悪い部分も含め客観的に瀬戸内病院のことを見ることができ、とても良い機会となりました。
また、喜界島ですごく仲良くなった友達とその後もずっと連絡を取り続け、のちに一緒に働くようになる生涯の友達とも出会いました。
現在はそれぞれの地元に戻ってしまいましたが、連絡は今も取り続けています。
どこで気の合う仲間ができるのかわからないものですね。
あのとき「ちょっと喜界島に行ってみない?」と声をかけてくださった看護部長さんには、本当に感謝しています。
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