喜界島のレインボーライフ🌈 (千葉県出身 看護師5年目)
小学校2年生の時にみたDr.コトーの離島医療の憧れをどうしても叶えたくて、
4年目の夏に前職を辞めて1年間喜界徳洲会病院でお世話になりました。
喜界島なんて26年間生きていて聞いたことがなかったのに、、、
選んだ理由としては、奄美群島のインスタグラムをみていて”1番インスタグラマーがいないから!”と言うことと、いろんな人の投稿に”人が優しいと書いてあること!”が決め手でした。ほぼ直感でした。
来てみたらそれがすぐに分かりましたし、観光地化されすぎていないからこその島の温かさを、細胞から感じることができました。
四季や文化を大切にしていて、何か忘れていた感覚を取り戻せた気がします。
病棟勤務は大変なことももちろんありましたし沢山風邪もひきました。
夢見ていた離島医療とはイコールにはなりませんが、何より患者さんを囲み一緒に働くスタッフ達と笑い合う毎日がとてつもなく楽しくて、仕事をしていたはずの夜も、今日は楽しかったなと振り返ってしまうほどでした。
本当におじいおばあが愛おしくて、私が辞める日はベッドサイドに行き挨拶回りをしました笑
離島ナースとの関わりももちろんですが、島の人との出会いもとても大切にしていました。
12ヶ月目になると島で会うと声をかけてくれる人が沢山いて、私も喜界島の一員になれてるのかなと、自惚れることも多々ありました。
よく、留学すると世界観が変わると言う話を聞きますが、私は初めての離島生活で50人以上の新しい出会いがあり、本当に沢山の喜びや幸せを分けてもらいました。
自分の考え方が本当に大きく変われたので看護師としてもそうですが、人間としても成長で
きた1年でした。
プライベートでは島の海クラブに入り沢山supをしました。
年齢や職業関係なく20人程度の人が参加するイベント、”supで喜界島一周”で完走しきった時は言葉にできないほどの感動と感動と感動があって、2024年だけでなく生きていて1番楽しい夏になりました。
島で唯一のコーヒー屋の店主さんが本当に最高に優しい漢なので、ぜひマリンアクティビティをする際は行ってみてください🎵
本当に1年間お世話になりました!
うふくんでーた!(喜界島で “ありがとう” を意味する方言)
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