自分を成長させたいと思い、瀬戸内徳洲会病院へ(岩手県出身 看護師3年目)
最初の入職は大学病院でしたがマイナー科で全く技術が覚えられず、自分をもっと成長させたいと思い病院を探しました。 元々、私自身が地方の離島と人口が同じ位の小さな街で育ったこともあり、働く中で地方のために…
続きを読む最初の入職は大学病院でしたがマイナー科で全く技術が覚えられず、自分をもっと成長させたいと思い病院を探しました。 元々、私自身が地方の離島と人口が同じ位の小さな街で育ったこともあり、働く中で地方のために…
続きを読む私には幼い頃から発展途上国に貢献するという夢がありました。 夢の実現に向け行動する中、ある人から離島での医療活動があることを聞きました。 限られた物資の中で看護を行うことは、途上国での医療に通じる面が…
続きを読む私は大阪の大学病院で5年間働いていました。 5年目で退職し次のステップに進む予定でしたが、コロナの影響で延期になり、時間が出来ました。 学生の頃離島実習というものがあり、沖永良部島で2週間実習を行いま…
続きを読む奄美大島:瀬戸内徳洲会病院に来て、早くも半年以上が経ちました。 奄美に来る前は、最短3ヶ月だがしっかり働けるだろうか…と不安に思っていたのですが、始めてみればあっという間でした。 名瀬徳洲…
続きを読む私が奄美大島にきて3ヶ月が経ちました。 あっという間に時間が過ぎてしまいましたが、日々充実していて貴重な経験を積んでいることを感じています。 仕事はやはり人が少ない中大変な部分もありますが、スタッフの…
続きを読む私の祖母は奄美大島出身で私自身幼い時に何度も来ていました。 看護師になって離島応援ナースという存在を知り、実際に奄美に住んでみたい!という思いが強くなりました。 そこでたどり着いたのが結の島ナースのホ…
続きを読むある日のお仕事中のこと。 赤ちゃんの蘇生のトレーニング風景です。 産婦人科病棟では、日頃より、助産師・看護師が緊急時にも赤ちゃんの適切な処置が行えるよう、 新生児蘇生法(NCPR)のトレーニングを日勤…
続きを読む私は、看護師として3年間、助産師として5年間、関東の大学病院の勤務をしていました。 その後、国際協力に興味を持っていたこともあり、JICA海外協力隊として東南アジアのラオスという国に2年間、助産師とし…
続きを読む奄美大島:瀬戸内徳洲会病院へやってきて早くも3ヶ月が経ちました。 3ヶ月も経つと、こちらでの生活や仕事環境にも大分慣れてきました。 仕事をするなかで都会での環境とは違い、奄美ならではと感じる事が沢山あ…
続きを読む私は国際医療NGO団体ジャパンハートの一つの事業であるRIKAjobという派遣システムを使って、 奄美大島の名瀬徳洲会病院で働いています。 RIKAjobとは、RITOU(離島・僻地)、IRYOU(医…
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